静岡地方裁判所浜松支部 昭和39年(わ)161号 判決 1964年8月18日
被告人 後藤喜代司
明四二・一・一二生 会社員
主文
被告人を懲役五月に処する。
訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
(罪となる事実)
被告人は昭和三八年四月一七日施行の静岡県議会議員選挙に際し、河合平太郎が静岡県浜松市の選挙区から立候補すべき決意を有することを知り、右河合平太郎と共謀の上、未だ同人の立候補届出のない同年三月一三日頃、浜松市馬郡二一五七番地の河合平太郎方自宅において、共に出席の上、後援会名義の下に招集した別紙一覧表記載の同選挙区の選挙人である辻村民蔵ほか九名および選挙運動者である村松久平、野田七蔵に対し河合平太郎が同選挙区より立候補の決意を有するから応援せられたい旨の挨拶をし、もつて立候補届出前の選挙運動をすると共に河合平太郎のための投票並びに投票取纒め等の選挙運動を依頼し、その報酬として右一二名に対しそれぞれ額面五百円のまる井食品の商品券一枚および菓子袋(四三円相当)一個宛を供与したものである。
(証拠の標目)
尚証拠の取捨について一言すると、被告人及び本件現場に出席した被買収者たる証人達の大部分の公判廷における各供述はその者達の検察官面前における各供述(当裁判所はこの方を真実と認める)に反し被告人が本件買収の現場に居合せなかつたとのべているが、これら公判廷の供述は、主犯河合平太郎の積極的な罪証隠滅工作の影響の下になされた虚偽のものと認められる。もつとも当公廷が誠実な証人と認める辻村民蔵、同佐藤治夫も、捜査段階と公判を通じて被告人の在席に気付かなかつた旨のべているが、辻村証人は本件会合には中途にて可成りの時間中座した後再び参加した者であり、又証人佐藤は別の要件で会合の後半に至り至急呼び寄せられて現場に到着した者であり、いずれにおいても被告人を知覚するために与えられた時間は他の証人より短く、しかも右両名はいずれも本件会合開催の趣旨たる買収乃至選挙運動には割合冷淡であつて被告人の在席の有無を積極的に確めた形跡もない。それ故右両名が本件のように、二、三十名にものぼる多数人が二室の狭い場所に密集した場合に、被告人に気付かなかつたとしても決して不自然といえない。現に他に本件被買収者達の中にも、警察の取調以来一貫して被告人の在席に気付かなかつた旨のべている者がいるのである。これは多数人の会合に際し特定人の在不在を特別の契機なくして記憶するかどうかにつき個々人により著しい差異があることに基くのであつて、つとに供述心理学上明白とされている事実なのである。(植松正・供述の心理参照)。従つて当裁判所は、証拠標目に挙示した全証拠を綜合して、一部在席者の供述の不一致に拘らず、被告人が本件会合に在席したことを真実として認定するものである。
(法律の適用)
判示所為中
事前運動の点につき、公職選挙法第二三九条第一号、第一二九条、刑法第六〇条。
買収の点につき公職選挙法第二二一条第一項第一号、刑法第六〇条。
観念的競合 刑法第五四条第一項前段、第一〇条。
訴訟費用負担 刑事訴訟法第一八一条第一項。
(情状)
被告人は、本件の立候補者であり、かつ当選者である河合平太郎の腹心として、その買収計画に参画したものであり、しかも、犯行後は河合平太郎の援助を受けつつ、約一年間にわたり姿をくらましていたもので、逮捕後も、犯行を頑強に否認して悔悛の情が全くない。他方河合平太郎は一審有罪判決を受けた後も本件買収の受供与者や証人を集合させて、供述の打合せ等を行い、罪証の隠滅を計り、二審有罪判決にも上告中である。この事実と照し合せると被告人も河合平太郎と協力して現在依然としてその僣取した公職を積極的に維持しようと努力していることが明かである。およそ犯行後に頑強に否認するだけでなく、犯罪行為により得た違法結果を国法に違反してまで維持しようとして、国家に対し引続き反抗の態度を示す者に対して司法機関は、その努力が無効であることをその者及び国民一般に充分感銘させるに足りる処置をとらなければならないことは当然である。従来の裁判慣行からすれば或はこの種犯行自体に対しては拘禁刑につき執行猶予が言渡される例が多いかもしれない。しかし、いさぎよく犯行を告白して罪に服するか、自らの不徳を認めて公職を辞するかして、国民に謝罪の意を表明した違反者に対してはいざ知らず(初犯の財産犯罪にとつてさえ被害弁償がほとんど必須の猶予条件であることを考えるべきである)本件のように国法に反抗してまで不正の公権力の座を維持しようと企図する者に対して拘禁刑執行猶予を与えるのは、犯罪者に改悛・更生の意欲と事跡の存在することを前提とする執行猶予制度自体の基本思想を正面から否定するものである。罰金刑もまた公民権停止の効果を伴うのであるから買収事犯に対する執行猶予付拘禁刑は実際上は罰金刑に劣る効果しか持たない。本件の如き悪質な事犯に対してこの種寛刑の言渡をなすが如きは、国民一般に司法の真剣性を疑わしめ、公職選挙法を空文と化せしめるものである。古代ギリシヤ・ローマ時代のすぐれた民主国はすべて選挙の腐敗のため没落しているのであつて、新憲法下に旧時代とは比較にならぬ程選挙の重要性をました我国においては本件に対し短期といえども実刑を課すべきことは当然である。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 植村秀三)